ポルトガル人の友人がおススメしてくれたヴィアナ・ド・カステロは、十分に街歩きもできないまま後ろ髪を引かれる思いで、巡礼の先へと進む。スタートから約3週間、ついにこの日でポルトガルの国土を歩くのは最後。スペインとの国境の街・カミーニャまでの 26.8km の道のり。
名残惜しいヴィアナ・ド・カステロとの別れ

パーティションで仕切られた巡礼宿のドミトリーでの滞在。相部屋にはそろそろ慣れ始めているはずだが、なぜか熟睡できず。夜中12時に一度目が覚め、次は4時と、アラームが鳴る前に2度も睡眠が遮られてしまう。
天井が区切られていない巡礼宿のドミトリーの朝はカオス状態。それぞれの巡礼者の目覚ましが次々に鳴り始める。隣のベッドで寝ていたイタリア人の目覚ましも6時に鳴っていたが、2度寝に落ちて行った。
朝ごはんの前に洗濯物をチェック。前日は雨が降っていたが、気候が乾燥しているせいか、しっかりと乾いていた。フルーツとヨーグルトの軽い朝食を済ませている横で、スペイン人の10代の巡礼者は、昨晩の残り物と言って、朝からピザを美味しそうに頬張っている。若い胃袋ってすごい。

快晴の早朝の空にはまだ月明り残る中、巡礼宿を後にする。美しいヴィアナ・ド・カステロの街並みを眺めると、じっくり観光できなかったのは残念。次回のポルトガル旅行の訪れるべき場所のリストに加えておこう。

月がまだまだ輝いていると思っていると、巡礼路の先からは朝日が昇り始める。この日は空も晴れ渡っているので、朝一から日に照らされて歩くことを覚悟したが、巡礼路が山間を進む形となったので、しばらくは太陽の光から守ってもらう。

さらに、前日に続いて巡礼路には石垣があり、その高さも直射日光を防いでくれる。所々、遠くに海が垣間見える。目の前がオーシャンビューというは憧れの住居のロケーションだが、塩害を考慮すると、少し距離が離れた丘の上から海が見えるというのも賢明な選択肢かもしれない、と巡礼をしながら将来の暮らしについて妄想を膨らませる。
芸術的な石垣に魅せられる巡礼路

巡礼路を示す黄色い矢印に沿って歩いていくと、一台の車が駐車している。行き止まりのようだ。どこで道を間違えたが?巡礼の地図アプリでチェック。山の中で道に迷うのは何としても回避したい。
地図を確認すると、正しい道のようで、他の道がないため迷うはずもない。運転手がいないことを願いながら車の横を通り過ぎる。

すると、行き止まりに見えた先には、細い裏路地のような巡礼路が続いている。ちょっぴり不気味な感じがするが、先を進もう。

Troviscsoの村に入ると、またしても美しい石垣に囲まれた巡礼路が現れる。大きな石を隙間なく積み上げる技術はペルーのインカ文明には及ばないものの、几帳面に小石で積み上げた大きな石の隙間を埋めた石垣の姿は一種のアート作品にもみえなくもない。

美しい石垣に見とれながら歩いてきたが、スタートから2時間ほどカフェらしき店は一向に現れない。そもそも商いの匂いが全くしないので、住人の方はどのように生活しているのだろうかと疑問が沸く。
石垣によって日差しも遮られたため、汗はほとんどかかず、よって給水もそれほど行わなかったため、重たい水をそのまま運び続けなければならない。カフェが見つからないまま、このままベンチかどこかで休憩することになるかと思いや、救世主のようにカフェが現れる。
巡礼者の溜まり場となるカフェ

同じ宿から出発した他の巡礼者の姿も。皆、考えることは同じ。カフェは巡礼者の溜まり場のようになっていた。いつもなら、エスプレッソに牛乳を少し加えた Pingo を注文するが、この日は気分を変えて Galão を注文。カフェラテに近い飲み物と言えばイメージしやすいだろうか。

これまでの巡礼路沿いのカフェは、巡礼者はほとんどおらず、地元の人の朝に溶け込んでいるのを味わえたが、ここからは巡礼者同士の交流の場となっていく。そのせいか、これまでは、コーヒーを飲み終えて店から去る時に会計をしていたが、このカフェは注文して商品が出来上がる前にお会計を求められた。信頼されていないというか、一見さんとして扱われている感がにじみ出る。
巡礼路は交流&ビジネスの場

朝のコーヒー休憩を済ませて出発と思いきや、太陽の光が照り付け始めたので、バックパックからサングラスを取り出す。その合間に、同じ宿にいたアメリカ人の女性巡礼者に先を越される。
また、すぐに追いつき追い越すだろうと高を括っていたが、彼女の歩くペースの早いこと。一定の距離が全く縮まらない。おまけに前日からの右足のふくらはぎの痛みは完治せず、上り坂では足がつりそうになるため、坂の度にこのアメリカ人巡礼者との距離が開く。
巡礼路は森の中を進み、小川のせせらぎも聞こえてくる。この日のルートは、変化があって実に歩いていて飽きない。せせらぎが響き渡る静けさに水を差すかのように突然「ブーン」と激しい機械音が鳴る。
何事かと思ったら、ブロワーで作業員が枯れ葉の掃除をしていた。その手前の橋で先を歩いていたアメリカ人が休憩を取っていたので、ここでようやく追い越し成功。そこから90分ほど歩いたところで、再びカフェが現れたので2回目の休憩。

のんびりコーヒーを飲んでいると、当然ながらアメリカ人に追い抜かされ、さらには同じ宿にいた朝からピザを食べていた10代の若者のスペイン人グループにも先を越される。
2杯目のコーヒーを飲み干したら、先に進もう。Âncora川に架かる橋で「Free Hug」とボードに書いて、スナックスタンドを設けているおばさんと対面。巡礼者と交流するために、この場所にやって来るのだという。もちろんハグだけではなく、果物やスナックなどを提供し、値段は付いていないので、巡礼者が対価を決めて支払う仕組み。一種のビジネスでもある。
ハグだけで済むかと思いきや、日本人の巡礼者がポルトガル語を話すのがよっぽど珍しかったのか、世界が通じ合ったかのようになる。先程のコーヒー休憩から30分も経っていないが、3回目の休憩となりそうなくらい、話し込むことになる。
おばさんはスタンプを持っているから巡礼手帳(クレデンシャル)に押してあげるという。基本は宿泊した場所だけでスタンプを集めているので、クレデンシャルではなく、日記帳にメッセージとスタンプを押して欲しいと伝える。

さんざんここまで何十分もポルトガル語で会話したのに、メッセージを英語で書きだすおばさん。おいおい。「しまった。あなたとポルトガル語で話していたわ」と、途中でメッセージをポルトガル語に切り替えるおばさん。とってもチャーミング。
ポルトガル名物のナタ(エッグタルト)とポルトワインを頂く。値段は巡礼者が払いたい値段を支払うので、手持ちの小銭を全て渡す。最後にもう一度ハグをしてお別れ。

これまでは、こうした巡礼に絡んだ露店を見かける機会はほとんどなかったが、このポイント以降、時折、巡礼客を相手にした商売を巡礼路で見かけることになる。食べ物から土産物、さらには歌を歌ってチップを稼ごうとする人、何でもあり。
果てしなく続く一本道

緑豊かな森の中の巡礼路を抜けると、Lagarteiraの街に差しかかる。Ancora – Praia 駅近くの 礼拝堂・Capela de Nossa Senhora da Bonança は見事な花のアーチで彩られている。思わず見とれてしまう。

礼拝堂のみならず、街の通りにも花が飾られ、華やかさを演出する。しばらく、色鮮やかな市街地の道を歩いた後、海岸沿いの巡礼路へ。

いつものようにウッドデッキの巡礼路が現れるのかと思いきや、舗装されただけの一本道。視線の先には山がそびえるが、一向に先に進んでいるのを実感できない長い長い一本道。
この日のスタート時点では山や石垣が直射日光から守ってくれたが、もはや太陽の光を遮ってくれるものは何もない。日の光を直接浴びることになったが、幸いにして気温はそれほど高くなく、潮風が吹き付けて体温の上昇を防いでくれる。

長い一本道を歩き終えて、線路の高架下をくぐると、目を疑うようなデジャブ。目の前には、先は見えないくらい果てしない一本道。一体どこまで続いているのだろうかと疑問を抱くほど。
数十メートル先にドイツ人の巡礼者が歩いていたが、彼女の姿を目標に設定して、ひたすら歩みを進めるしかない。追い抜かしてしまうと、目標がなくなるので、一定の距離を保ちながら。
結局40-50分、ひたすらこの長い長い一本道を歩いた末、ようやくカミーニャの街に到着。巡礼宿・Albergue de peregrinos de Caminha のチェックイン開始時刻は午後3時から。まだ2時間近くもある。
ワンチャンでアーリーチェックインができるかもしれないと宿に向かうも、扉は閉まっており、張り紙には午後3時からしかチェックインは受け付けないと説明されていた。
ランチは期待外れ

待っている間に食事を済ませよう!宿までの道中、広場には多くのレストランが軒を連ねていたが、少々、観光地化されすぎていたので、グーグルマップを頼りによりローカルな雰囲気の店へ。
メインは魚のフライとサラダで8.9ユーロ、運ばれて来た付け合わせのオリーブとパン、スープは別料金のようで、合計18ユーロ(=約3,000円)。値段の割にはイマイチ。
おまけにクレジットカード払いができない。現金を持っていなかった別のお客さんは、クレジットカードで払えないことで、店員とひと悶着。結局近くのATMにお金を引き出しに向かい、ご立腹のまま退店。
時折、記憶に残る食事があれば、この日のように特筆すべき点がない料理にあたることもあるのが巡礼旅。
海の反対側はスペイン

午後3時になったので宿に向かうと、この日もすでに10人ほどの巡礼者の列。日に日に巡礼者の数が増している印象。
この日の宿のドミトリーは2段ベッドではなく、シングルベッドが配置されていたが、隣のベッドとの距離が短すぎる。10ユーロ(=約1,700)と、巡礼宿の中では安い方なので文句は控えよう。

シャワーと洗濯を済ませたら、一旦ベッドで休憩。日が傾きかけたころ、翌日のフェリーの情報を調べに船着き場へ。

対岸はスペイン!島国・日本の巡礼者にとって、これほど近くに他国の領土が見られると興奮してしまう。肝心の対岸のスペインの町 A Guarda へは、Xacobeo Transfer というフェリー会社がボートを運航しており、朝一のボートは7時30分にカミーニャを出発する模様。
フェリー会社のホームページから予約・クレジットカードで支払い(6ユーロ)を済ませる。
ピリピリオイルの餌食に

ランチは外れだったので、夕食は手堅く自炊を選択。買い出しの前に、宿にある調味料をチェック。オリーブオイルがあったので、炒め物とサラダ、スープにしよう。
スーパーから戻ると、スペイン人の青年が熱心に料理に取り組んでいる。キッチンが空くのをしばらく待っていると、この青年、オリーブオイルを全て使い切ってしまったようだ。
油が無ければ、さすがに炒め物はできない。目についたのは Piri Piri com Azeite 油であることは一目瞭然だが、このピリピリという表現は、おそらく辛さを意味していると想像するが、どの程度かは不明。正直辛い物は苦手でほとんど食べられない。
フライパンにこのピリピリオイルを引いてマッシュルームを炒めて、グリル料理、サラダにもドレッシング代わりにこのオイルを垂らす。

食べ始めは、文字通りピリッとくるなという程度の印象だったが、徐々に徐々にその辛さが体に蓄積され、どんどん汗が滴り落ちる。
余りの発汗の量に、スペイン人の青年が大丈夫?と気遣ってくれるが、事の発端は君が普通のオリーブオイルを全て使い切ってしまったから!と言いたかった。
ここは大人の対応で、辛さは苦手で、このピリピリオイルが想像以上に刺激的だったとかわす。平静を装っていたつもりだが、口の中は燃え上った状態。
料理を始める前に、巡礼宿に行商の男の子がやってきて、ブラウニーを購入したのを思い出し、そのチョコレート風味で口の中の辛さを和らげる。思わぬ形でブラウニーが役に立った。
翌日のボートは午前7時30分出発なので、6時15分くらいの起床すれば十分だろう。巡礼中は、朝、少しゆっくり起きれるだけで幸せを感じる。3週間ほど歩き続けてきたポルトガルに別れを告げて、いよいよ翌日は、最終目的地・サンティアゴ・デ・コンポステーラのあるスペインに上陸する。