サンティアゴ巡礼 / ファティマ巡礼 Day 4 サンタレン ~ ナセント・ド・アルヴィエラ(28km)

サンティアゴ巡礼

巡礼旅は体力との闘いである。1日6~8時間歩くことは問題ないが、それを何日も連続して継続するとなると話は別。年齢とともに劣っていく回復力。巡礼4日目にして、体の疲労が蓄積しているのを実感。それでも巡礼の先を目指す。

2日目の巡礼宿のボランティアが教えてくれたファティマまでの道のり(Caminhos de Fátima)に進む。この日は、サンタレンからファティマまでの中間地点あたりのナセント・ド・アルヴィエラまで約28㎞ の巡礼路。道のりが概ね平坦だったこれまでの巡礼路とは異なり、起伏が激しく、かつ欧州に到来した熱波の影響で、炎天下での巡礼に体が悲鳴を上げそうになる。

サンタレンの街から抜け出せない

サンタレンの玄関口

同じ部屋に宿泊していたフランス人巡礼者に触発され、5時40分起床。フルーツとヨーグルトで朝食を済ませて6時45分に出発。日を追うごとに出発時間が早まっている。苦手な早起きにも少しずつ慣れてきた。1日歩き疲れて夜は早く就寝しているので、朝は自然と早く目が覚めるようになったと言った方が適切かもしれない。

前日のサンタレンまでの道のりは終盤の心臓破りの上り坂に宿までたどり着くのが精一杯。ここから先の巡礼路を示す矢印を探す余裕はなかった。この時点では、まだ地図アプリの存在を知らなかったので、自力で探すしかない。

早朝の通勤時間帯。1人のおばさんに声をかけ、巡礼の矢印のありかを尋ねるが、なんとも曖昧な返答。知っているのか知らないのか。大まかな方向だけ教えてくれ、同じ方向だからと一緒に歩くことに。

話すポルトガル語のアクセントからブラジル人であることが即座に判明し、かつてブラジルに住んでいたことを話すと意気投合。「日本人なの?ブラジル人だと思った」と言われ、ポルトガル語もなかなか身に着いてきたと実感。それはさて、10分ほどの間に色々な話に花を咲かせ、ガソリンスタンドでお別れ。

2,3人集まっていたおじさんの集団に、ファティマの道しるべを聞くと、真っすぐ行って左と教えてくれ、言われるがままに進むも、道しるべは見つからず、サンタレンの街の玄関口をくぐり抜けて幹線道路が続く。これはグーグルが示す地図通り。

ファティマ巡礼を紹介しているブログにサンタレンからの道順の地図があったので、それを参考に道しるべを探すが、結局同じ所をグルグル回り、気が付けばまたサンタレンの玄関口のアーチに戻ってきてしまう。1時間近い時間のロス。距離にして3,4㎞ 余計に歩いてしまう。この日の移動距離は28 km 程であるが、このロスした分を加算すると30 km を裕に超えてしまう。実際に終盤、この道に迷って余分な体力を消耗したことが響く。

ようやく発見!ファティマ巡礼の道しるべ

ようやくファティマ巡礼の道しるべを発見した際には、既に汗だく。気を取り直してこの日の巡礼がスタート。朝早くスタートしたのが帳消しになってしまったが、生粋の方向音痴なので仕方あるまい。一方で、迷っているうちにサンタレンの街を少し観光がてらに歩けた。大航海時代を支えた経済都市の名残なのか、立派な邸宅が並ぶ地区もあり、巡礼には彷徨っていたが、街歩きは楽しめた。

欧州を襲う熱波、暑さとの闘い

道しるべが見つかり、ようやくこの日の巡礼がスタート。

1時間ほどして道沿いにカフェが見えたので休憩。宿を出発してから2時間ほどの時間が経過していたが、道に迷ったせいで、距離でいえばまだ4km ほどしか進んでいない。意気消沈気味のムードは0.85ユーロのエスプレッソで和らげる。水も無料で頂けた上、トイレも綺麗だったので、満足のカフェ休憩。

店員さんは去り際に「Bom Caminho(素敵な巡礼を)」と激励してくれた。

その言葉に背中を押されて歩みを進める。4日目にして、体の疲労が蓄積されてきたのを感じる。足の靴擦れとマメの痛みに加え、体が重い。

Fátimaまで50㎞

カフェを後にしてAzoia de Baixo 町の入り口まで辿りつく。そこには目指すFátima まで残り50 ㎞ の表示。この日は、約半分の25 km の距離を進めばよいと楽観的に捉えていたが、甘かった…。

Azoia de Baixo の町を抜けると、小さな町が続き、Vale Flores の町に入ると、のどかな田園風景が広がる。他の巡礼者どころか、地元の人も誰もいない。

静かな環境の中を歩けるのは有難いが、目の前に現れたのは目を疑うほどの傾斜の上り坂。

こんな上り坂が続いていくのか。これまで履いていてきたトレッキングシューズは、ポルトガルのサンティアゴ巡礼には装備としては不釣り合いのように感じていたが、この日になって、この靴の選択が正しかったと認識。

どれほど傾斜がきつかろうと、先に進む以外の選択肢はない。

途中、Fátima まで残り45 ㎞ と先程から5㎞ 進んでいたことを知らせる表示が目に入ったが、もはや何の気休めにもならない。1時間少々でこの距離を進んできたのでペースとしては悪くはなかったが、上り坂、足の痛み、体の重さに加え、気温が高い。

天気予報をチェックしていなかったが、この前後から欧州に熱波が到来し、猛暑となっていたのだ。湿度は低いとは言え、40度を超える気温の中で、重いバックパックを抱えての巡礼は負担どころか、危険と隣り合わせ。

太陽が南中高度に差し掛かるころには、日陰すらなくなり、道中、休憩できる場所すら見当たらない。熱中症にならないか心配になったところで、救世主、カフェの登場。

ポルトガル料理の1つカタツムリ

冷えたオレンジジュースが飲みたかったが、缶の炭酸飲料しかないと言われてしまう。普段は飲まない飲料だが、この暑さ、水分補給と体を冷やすための選択肢。

カフェは地元の人のたまり場。怒っているのかと思う位大きな声で話す年配のおばさんがコーヒーを片手に、暑さを嘆いている。思わずその声のボリュームに呆気に取られていると、隣の席の客と目が合い、苦笑い。

カフェの店内には「Caracois」あります!まるで「冷やし中華始めました」のような、カタツムリ料理。フランス料理で食べたことはあるが、ポルトガルのカタツムリ料理は、少し小ぶりのようだ。この地域だけではなく、ポルトガル全土でよく食べられるそうだ。

汗が引き、火照った体が少し冷めた頃合に出発。Fátima まで残り40 ㎞ の表示が目に入ったが、果てしなく道が続いていくような錯覚。まだ10 km ほども歩かなければならないなのか。暑さに完全に体力を奪われ始めている。

オリーブ畑

体力に余裕は全くなかったが、目の前に広がる広大なオリーブ畑の美しさには見とれる気持ちの余裕はまだあるようだ。

ここまでの巡礼旅、休憩は2時間おき位に取っていたが、この日の気温は、それではとても体力が持ちそうにない。先程のカフェでの休憩から30分ほどしか経っていなかったが、再びカフェが現れたので、今度はアイスクリームで体を冷やす。この日は、休める場所があるときは休む作戦。

アイスのお供にブラジルを代表する飲料のグアラナ。懐かしさを感じながら、再び体を冷やす。コーヒーは割安なポルトガルだが、アイスは少々割高な印象。あまりの暑さに、クールネックは効果が薄れていたので、カフェのおじさんにお願いして、アイスクリームの入った冷凍庫でクールネックを冷やさせてもらう。これが後々、猛暑の中で体温の上昇を抑えるのに効果を発揮する。

巡礼者を待ち受ける上り坂

次のChã de Cima までは、猛暑でくたびれた巡礼者に容赦ない上り坂が続く。これは体に鞭を打って上らなければならないレベル。アップダウンが続く道のりで足が痙攣寸前。重いバックパックを背負っていると、上りも去ることながら下り坂を歩く際、太腿の裏側の筋肉が痛む。

道のりは絶望的な厳しさだが、見渡せる町並みは絶景。周囲の緑にオレンジの屋根が青空に映える。

地元の人は日中は屋内で暑さを凌いでせいか、人を見かけない。唯一、Chã de Cima の方向から歩いてきた人と1人だけすれ違った。こちらに負けないくらい汗だく姿。町までは10 km ほどの道のりという。グーグルは6km 約1時間40分の表示。どちらの情報が正しいかは定かではないが、体力の限界に近い。

しかし、ここでへたれても、誰も助けてくれないだろう。事実、この数時間で遭遇した人はこの方1人のみ。

重い足取りで山道を抜けると幹線道路に。残り45分ほどだが、日が傾き始めたとは言え、アスファルトからの照り返しが追い打ちをかけるように体力を奪いにかかってくる。もはや西に傾いた太陽が演出する木陰を歩いても全く涼しさを感じない。

まさかの宿が閉館中

この日に目指すナセント・ド・アルビエラには巡礼宿はなく、前日に宿泊したサンタレンのホステルの方が Centros Ciência Viva do Alviera 内の宿泊施設を教えてくれた。

ナセント・ド・アルビエラに入ると、駐車場の数台の観光バス。何かのイベントなのか、それとも一大観光地なのか。入り口には警備員が出入りをチェックしている。

どこに向かうのか聞かれ、科学センターの宿泊施設と返答。すると予約の有無まで尋ねられ、予約がないとこの先は通せないとの一点張り。施設内には2つの宿泊施設があり、主に巡礼者が利用する科学センターの宿泊施設と別にホテル。後者のホテルは予約必須というのが警備員の理解のようだ。

巡礼の身で利用するのは科学センターの宿泊施設と説明すると、無線でやり取りが始まり何とか警備のコントロールを通過させてくれた。

どうやらこの場所は、水辺があり、川遊びに人々が訪れているようだ。敷地内の宿泊施設までの移動も辛く感じるほど、もはや残された体力はほとんどない。

ビジター向けのフードトラックが極楽の世界のように見え、宿泊施設に向かうまでに水分補給。体の疲労は相も変わらずだが、体が冷やされていくのを実感。他の訪問者と同じく、チェックインが済んだら、体を休ませるためにも、水辺に入ろう。

休憩後、科学センターに向かうと、おばさんがこちらに近付いてくる。「警備員と話していたのはあなたね」と話しかけられ、残念だけど宿泊施設は閉鎖中と告げられる。失神しそうなくらいのショック。すでに体の疲労はピークなのに、さらに疲労が圧し掛かる。次の町まで歩く体力は残されていない。タクシーを利用するか?

このおばさんは施設内のホテルに当たってみればとアドバイスをくれ、その足でホテルまで。敷地内は広く、いやこの足と体の状態、10時間近く歩いたせいなのか、1つ1つの設備を移動するのに途方もない距離を感じる。

足を引きずりながらホテルに到着。空きがあるかチェックするからと一階のレストランで待つことしばし。空室がなかった際の代替え案を考える余裕はもはやなかった。ぼーっとただ待つのみの疲労度。

幸運なことに空室ありという。その言葉がお告げのように聞こえた。パスポートを提示してチェックインの手続き。宿泊料金を聞き忘れたが、もはやそんなことは2の次、3の次。仮に10万円を超える値段だとしても、宿泊していただろう。それくらいの疲労レベルに陥っていたのだ。

料金は60ユーロ、1万円ほど。ポルトガルの物価に助けられる。もちろん、巡礼宿と比較すると数倍だが、この日はもはやそんなことはどうでもよい。

個室できちんとしたベッドで休めるなら、値段はいくらでもいいのだ。

部屋への案内に階段を利用させられそうになったので、もう歩けないサインを出して、エレベーターで部屋にチェックイン。

特筆すべき点は何もない部屋だが、救世主となったホテルは、5つ星の宿泊施設のように見えた。

どっと疲労が押し寄せ、もはや水辺に浸かりにいく体力は残されておらず、おまけにこの日も昼食のタイミングを逃したので、お腹を満たそう。

余りの疲労の際は、食欲も落ちてしまうのが現実。アサイボールで済ませる。

翌朝、早朝の出発をホテルの従業員に伝えると、夜のうちに朝ごはんを部屋まで届けてくれるという。この朝ごはんという単語、ポルトガルでは小さな昼食「pequeno-almoço」と言われるが、ブラジルでは「café da manhã」と、用いられる単語が異なる。店員さんが、後者の単語を使用していたので、ブラジル人であることが判明し、ブラジル話で盛り上がる。

就寝前に届けられた翌日の朝食

サンタレンの街からなかなか抜け出せずに始まった1日は、10時間近い時間を要してようやく目的地にたどり着いたのに、目星を付けていた宿泊施設が閉館中という結末で終える。幸い、近くのホテルに落ち着き、なんとか宿を確保して一日の巡礼が終わる。

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