いよいよ夢にまで見たサンティアゴ巡礼のスタートの日を迎える。長年の想いを実現する高揚感に包まれて高鳴る胸と、無事にスペイン北部のサンティアゴ・デ・コンポステーラまで辿り着けるかの不安が入り混じりながら、ポルトガルの首都リスボンから旅立つ。
ポルトガル巡礼ルートのスタートはSaint James 教会

サンティアゴ巡礼のポルトガルルートの始点となるのは旧市街にあるSaint James教会。巡礼に必須の証明書(クレデンシャル)を購入したのは近くの Sé 教会だったので、この場所がスタート地点と思っていたが、どうやら異なる模様。
前日に教えてもらったgronze.com という巡礼用のアプリでルートを検討。アプリでは第1日目の推奨ルートとして、リスボン ~ ビラ・フランカ・デ・シーラまでの34.2km、9時間の道のりが示されている。
さすがに初日からそんな長時間を歩く心の準備はできておらず。おまけに、ビラ・フランカ・デ・シーラまでたどり着いたとしても、巡礼宿(アルべルゲ)はない。旅の始まりということで、少し手前のアルベルカ・ド・リバテージョという町をこの日の目的地に設定。リスボンからは約24.8kmの道のり、6時間ほど歩くことになる。この町にもアルべルゲはないので、事前にbooking.comで宿を予約。
数日お世話になった友人宅に、巡礼に不要な荷物を保管させてもらい、タクシーでSaint James 教会へ。教会の入り口の横には、サンティアゴ巡礼のポルトガルルートの起点を示す看板。通りすがりのイタリア人観光客に記念撮影をお願いして、いざ出発。
リスボン旧市街は観光客で賑わいを見せるが、同じ観光客の身でも、サンティアゴ巡礼という異なる目的を携え、大きなリュックを抱えて街を歩いていることが誇らしげな気分。
午前9時40分に出発。後々、これが遅すぎる出発と後悔することになるとは、この時点では知る由もなし。

まずは、ファドで有名なアルファマ(Alfama)地区の細い路地を下っていく。過去2度のリスボン訪問時には見かけなかった露店があちらこちらに点在して、観光ブームに沸いていることが一目瞭然。歩き始めは、曇空のおかげて涼しさを感じるくらい。

アルファマ地区を代表するFado博物館までたどり着いたら、後は幹線道路沿いを北上あるのみというのが、この日のルート。
巡礼路はいづこ?

グーグルマップが示す幹線道路沿いの道のりをひたすら北へ北へと進む。歩道のすぐ横を車が猛スピードで駆け抜けていく。曇空から一転、日が照り始め、アスファルトからの照り返しも。視線の遥か彼方に一瞬にして消えゆく車の姿を見ては、なぜこんな暑い思いをしてまで歩いているのだろうかと、巡礼開始わずか数時間にして後悔に近い葛藤が芽生え始める。

暑さに加え、鉄道の中央駅、港湾エリア、高架下には路上生活者のテントが目に付き、なんだかちょっと微妙な治安状況。幸い、身の危険を感じることはなかったが、これならば海沿いではなく、市街地のルートを選択すべきであった。

スタート時の高揚感はすっかり失せ、気分が乗らないままParque das Nações までたどり着き、ケーブルカーが目に入る。人の流れも活発になり、先ほどまでの微妙な治安の地区を一人歩いていた孤独感が薄れていく。

この公園の敷地は、1998年に開催された万博の記念公園。周辺にそびえるビルが作り出す日陰を利用して体力温存。スペースが開けている分、この公園の広大な敷地がより広く感じて、歩けど歩けどなかなか公園から抜け出せない。徐々に疲労が募り始める。

募る疲労感をわずかに癒してくれたのは、住宅地に咲き乱れたジャカランダの花。一部の花は散って石畳を紫色に染めている。ジャカランダと言えば、南アフリカ共和国のプレトリアが真っ先に思い浮かぶが、まさかリスボンでこのような光景に出会えるとは思ってもみなかった。
巡礼者と初遭遇

万博の記念公園を抜け出すと、吊り橋を思わせるようなウッドデッキの歩行者・自転車道が現れる。リスボン市とロウレス市を結ぶ道として2023年7月に完成し、将来的にはヴィラ・フランカ・デ・シーラまで続く全長60kmの歩行者専用道路となるようだ。

石畳よりは足に負担なく歩けるのは巡礼の優しい味方。ウォーキング、サイクリングを楽しむ地元の人とともに、全長6.1キロに及ぶウッドデッキを進んで行く。
海からの潮風を心地よく感じたのも束の間、案外、単調な道のりに飽き始める。
ウッドデッキの途中、休憩できるようなスペースが設けられており、早速、休憩を取る。
同じようにリュックを抱えたペアが休んでおり、いきなりフランス語で話しかけられたじたじに。話しかけられているのがフラ語であることくらいはすぐに識別できるが、残念ながらフラ語の言語レベルは永遠の初級状態から抜け出せていない。
どうやら同じようにサンティアゴ巡礼者のようだ。これから向かうルートなどを話していたが、いかんせん言葉の壁が大きい。この方は、フラ語以外の言語は話せそうな雰囲気はなく、せっかく初めて別の巡礼者と遭遇したにも関わらず、あまり話も気分も盛り上がらない…。改めてフランス語の練習不足を痛感させられただけに終わった。
ウッドデッキは1本道なので迷う心配もなく、ひらすら歩みを進めていくのみ。しかし、半分にも満たない時点から永遠に続く長い道のりのように感じる。
最終地点にたどり着いた時には、もう足ががくがくの状態。おまけに空腹にも襲われる。それもそのはず、すでに午後2時を回っている。
とにかく昼食にありつけるように市街地を目指す。グーグルマップで表示された一番近いレストランへ。
ポルトガルのクレカ払い普及率はイマイチ

一番近いレストランはケバブ&ピザ、記念すべきサンティアゴ巡礼初日の初めての食事となる昼食なのに、ポルトガル料理ではないというオチ。地元グルメを楽しむというのも巡礼の目的の1つでもあるが、もはやそんな目的を叶えることは優先順位ではなくなり、どうでもよい。それよりも、この足のガクガク状態を休め、空腹感から一刻も早く解放されたい。
ひとまずカード払いができることを確認して、手っ取り早くケバブを注文するが、ケバブはないという。いやいやケバブ屋を名乗っているのに、看板メニューがないって…。突っ込む元気も沸かず、失望。ピザもないという。それなら店名のケバブ&ピザを変えたら?
用意できるのはハンバーガーかパスタのみという。午後3時近い時間だったので、ランチタイムを過ぎてしまっていたのかもしれないが、それにしてもイマイチ。せっかくの巡礼最初の記念すべき食事なのに。かといってこの先にあるレストランまで歩く体力は残っておらず、ここで妥協。
店員との一連のやり取りで、ポルトガル語があまり通用しない。しばらく話していなかったせいなのか、レベルが落ちたのかと思いきや、このレストランの従業員は全員パキスタン人という。
ひとまずブロッコリーパスタを注文。料理が運ばれてくるまで、椅子に座っていたら寝落ち。まだ最終目的地にたどり着いていないのに、よっぽどの疲労感だったのだろう。
コーヒーを注文する客以外、料理を食べている他の客はいないのに、なかなか食事が出てこない。おかげでいい昼寝になった。
ブロッコリーのパスタはホワイトソースという固定概念に縛られていたが、運ばれてきたのはトマトソースベース。一瞬、注文が間違って通ったのかとも思ったが、ちゃんとブロッコリーは入っていた。
ポルトガルのケバブ&ピザ屋で食べるパキスタン人シェフによるパスタ。何がなんだか意味不明だけれども、お腹は満たされた。
支払いを済ませて、さっさとこの日の巡礼路を急がねば。端末で支払いを処理しようと試みると、カードを受け付けない。別のカードを試しても結果は同じ。
最初にカード払いができるか確認したとひと悶着。料金がタダになる気配はなく、近くのATMまで車で連れていってくれると言う。
丁度、手持ちのクレジットカードからATMで現金を引き出せるか試してみたかったので、いい機会。しかし、持ってきたクレジットカードではキャッシングに対応していない模様。
手持ちの現金はそれほど多くはないので、できるだけカード払いにして減らしたくないが、ここは仕方あるまい。店員さんたちはプロフェッショナルな印象は受けないが、人柄が憎めないので、怒る気にはなれず。
ラストに地獄の登り階段

レストランを後にして再び巡礼の歩みに戻る。単調だったウッドデッキの道のりとは異なり、市街地の道のりは活気があり、昼食時の休憩と栄養補給の効果からか、歩くペースも上がる。
サンティアゴ巡礼初日の目的地アルベルカ・ド・リバテージョの看板が現れる。この地には巡礼宿はないので、事前にホステルを予約。道中、スーパーマーケットがあり、夕食の食材を買うか迷ったが、買い物よりも一刻も早くバックパックを担いだ肩の痛みから解放されるべく、ホステルに直行。
ふと空を見上げると、リスボンのウンベルト・デルガード空港に向かう飛行機が着陸に向けて高度を下げている。その機体の大きさは、出発地点のリスボンでみた機体の大きさよりも僅かだが、小さくなっているのを見て、この日に歩いてきた距離の長さを実感する。

グーグルマップでホステルまであと僅かとなったところで、行く手を阻むかのような階段。終盤になって地獄の階段のように思える。階段を一段上るごとに足が悲鳴を上げる。ようやく階段の頂まで来ると、ホステルの入り口。休憩時間を除くと6時間ほど歩いたことに。

メールで指示された通りキーボックスから鍵を取り出し敷地内へ。受付はない上、他の宿泊客も見当たらず貸し切り状態。ドミトリーで1泊34.2ユーロ(=約5,437円)ポルトガルの地方都市のホステルの相部屋で5,000円超え。世界的なインフレに円安のダブルパンチ。
汗だくになった体をシャワーでさっぱりさせ、少し休憩した後、さきほどのスーパーへ。
ワインボトル1本300円以下!安いポルトガルの物価

シャワーを浴びた際にシャンプーを持ってくるのを忘れたことに気づき、それを買い物リストに入れてスーパーで買い物。
普段は、社交の場以外ではお酒はほとんど飲まないが、この日は記念すべきサンティアゴ巡礼初日。昼食は微妙なパスタだったので、無事に第一日目を終え、巡礼のスタートを切れたことをワインで祝おう。
ポルトガルには緑のワインがあり、スーパーでお買得になっていた1本は1.79ユーロ(=約310円)安すぎ!何の躊躇もなく買い物かごへ。
夕食用のサラダ、レンズ豆、ポルトガル名物エッグタルト、朝食用のヨーグルト、フルーツ、巡礼中のお菓子のナッツ、上述のシャンプーなど購入して12ユーロ(=約2,000円)ヨーロッパでも比較的物価の安いポルトガル。初日からその恩恵に預かり、ワインで乾杯。

自炊というほど大したものではないが、緑のワインを片手に、レンズ豆を茹でてサラダに混ぜたら終了。
貸し切り状態だったホステルに、別の巡礼者のドイツ人が到着。さすがに1人でワイン1本は量が多いので、盃を分かち合う。しかし、これが望まぬ方向へ事態を転ばす。
饒舌なドイツ人のエンドレスの語らい
このドイツ人は、2度目のサンティアゴ巡礼のようで、初回の思い出話から今回の巡礼の予定などを語り始める。トラムの運転手という彼は、普段はお酒は飲まないというが、シェアした緑のワインが効いたせいか、時間が経つにつれてどんどん饒舌になっていく。
巡礼に関する話題は、経験者から色々な話を聞けて参考になったが、徐々にその話題が政治や社会情勢に移るころには、さっさと日記を書いて寝たいという思いが芽生える。
話を遮るのは失礼かと、ペンと握ったり、日記帳を開いたり、トイレに席を立ったりと、会のお開きのサインを出したつもりだったが効果なし。
むしろ話が止まらくなり、自分のキャリア形成や現在の給与まで明かし始める。初対面の人とのお金の話は少し苦手。ここは最後通牒を出すしかない。
直接「日記を書いて寝る!」と宣言。文化的にドイツ人は直接の意思表示を不快に感じることはないのか、「あ、そう」で終了。めでたく初日の宴会が終了。
歩き疲れた体を休めるのと、この日の出発時間が遅かったのを反省して、翌日は午後の早い時間に目的地に到着できるよう、日付が変わるまでに寝たかったが、気が付けば時計の針は12時を回っていた。