暮らすように旅を楽しむ-リオデジャネイロ編③

ブラジル

暮らすように旅を楽しむリオデジャネイロ編も最終回。今回の滞在は10日間と、限られた日程の中で全ての友人に会うことは叶わず、再訪したい場所もすべて足を運ぶことができたわけではない。それでもかつて、リオデジャネイロに暮らしていたときのように、地元の暮らし方を感じたり楽しんだりしながら旅をする話。

ビーチバレー大会に出場

ビーチバレー大会の会場

かつてのビーチバレー仲間に今回の訪問を知らせると、丁度、滞在期間中に大会が開催されるので、一緒に参加しようとの誘いを受ける。幸いなことに、現在住んでいるベネズエラ・カラカスでもビーチバレー・サークルで練習を積んでいるので、自分の実力がどれほどかを計る絶好の機会。

ベネズエラでは上級者と見なされても、リオデジャネイロのビーチバレーのレベルは各段上。結局、3試合すべて負けてしまった。それでも、久しぶりに友人とまた一緒にビーチバレーができ、改めて体が許す限り、生涯続けたいスポーツの1つであると実感。

ボテコで夜を飲み明かす

リオデジャネイロの夜の楽しみ方の1つはボテコと呼ばれるバーでワイワイと友人とたわいもない話に花を咲かせながら飲むこと。

同じような飲み屋のスタイルでも、イギリスに住んでいた頃は、立ち飲みでつまみもなしでビールなんか飲めるか!と思っていたのに、リオデジャネイロだと許せてしまうのが不思議なところ。

年々、アルコールの摂取量は減ってきているとはいえ、久しぶりの友人との再会には、ビールが進み、日付を跨ぐまで、この数年で一番飲んだ量が多い夜となった。まだまだ夜を楽しむ体力が残っていたことに、自分自身でも驚き。

街中のキリスト像スポット探し

イパネマとレブロンを分ける運河からのキリスト像の眺め

リオデジャネイロの最も象徴的な観光スポットは、コルコバードの丘のキリスト像で異論はないだろう。観光や仕事も含めると、もう6、7回は訪れたので、さすがにお金を払ってまで再訪する気分にはなれず。

それでも、リオデジャネイロの街を見守ってくれるキリスト像の存在は特別。市街のあちらこちらで、キリスト像が見えるスポットが点在する。この街に暮らしていた時は、マンネリに襲われることもあったが、車の運転をしている時に、ふとキリスト像が目に飛び込んでくると、リオデジャネイロで特別な時間を過ごせていることを改めて実感させられていた。

今回の滞在中も、いくつかのお気に入りのキリスト像見えスポットに加え、友人の引っ越し先のアパートからもキリスト像が見えたりと、新たなスポットの発見もできた。

石畳を歩かずしてリオは去れない

ビーチ沿いの石畳

リオデジャネイロを代表する景観の1つの石畳。メンテナンスにも手間と費用がかかるのが難点だが、ロベルト・ブルレ・マルクスによって計画された、ポルトガル文化の影響を受けた石畳の通りは、歩いているだけも目を楽しませてくれる。

デザインのないアスファルトで舗装された道路ではなく、手間暇をかけてデザインを施しているところに文化的な素養の高さを感じさせてくれる。

ZonaSurと呼ばれる地区のレメからレブロンまでのビーチ沿いの石畳に加え、セントロの歴史地区などでも石畳を散歩することができる。

何度でも訪れたくなる歴史的建造物

Palacio de Catete

上述のように、キリスト像はいくら特別な場所だとしても、さすがにリオデジャネイロに戻ってくるたびに訪問する気にはなれないが、かつてリオデジャネイロがブラジルの首都として機能していた頃の旧大統領府であるPalacio de Catete は別物。もう両手が数えられないくらい訪れたような記憶。

Palacioの裏庭

残念ながら今回の滞在中は、修復工事中のため閉館ということで、入館できず。それでも裏庭のヤシの木通りの眺めは、リオデジャネイロの喧騒から解き放たれる場所として、いつも戻ってきたくなる。

休業中のレストランが再開

世界を震撼させたコロナウィルスによるパンミック。ブラジルも影響の大きかった国の1つ。経済面では、観光業やサービス業に依存するリオデジャネイロが被ったダメージは深刻で、パンデミック中、老舗のレストランの多くが廃業・休業を余儀なくされた。新陳代謝は時には必要だが、古き良き趣を残す場所が無くなってしまうのは、歴史を感じさせられる瞬間が失われていくようで残念でならない。

そんな中、今回の滞在中、コロナで休業していたレストランAlcaparra が営業を再開していた。他にも、コロナで閉まった日本食レストラン「あずみ」がレブロン地区でビジネスを再スタートするなど、リオデジャネイロらしい賑わいが完全に戻って来たような雰囲気。

再訪の度にブラジルのインフレを実感

ti可撤の券売機の値段表示

近年、ようやくデフレから脱却してインフレに見舞われる日本では、商品の価格が上がったことが大きなニュースとして取り扱われるが、ブラジルでは、モノの値段は時とともに上がるもの。高くなったと不平不満は漏らしても、インフレに慣れているせいか慌てふためいている様子はない。

それでも、地元の友人たちが値段が上がってしまって生活が変わったというのが地下鉄の乗車運賃。リオデジャネイロの地下鉄は、距離に関係なく一律料金だが、1回7.9レアル (約205円)

10年ほど前に、初めてリオデジャネイロに来た時は5レアル以下だったと記憶しているが、ハイペースの値上げ。

友人は、家族で移動する際、Uberとそれほど値段が変わらないので、地下鉄はめっきり使わなくなったという。

旅の最大の目的は友人との再会

誕生日会も兼ねた友人宅での食事

これまでは旅とは、一期一会を求めて常に新しい場所へ向かうことを意味していた。パスポートに新しいスタンプが押される度に気分が高揚し、訪問した国の数が増えていくごとに、ちょっぴり誇らしい気分になった。

もちろん今でも、新しい場所を求めて旅に出る。しかし、いつからかだろうか。世界各地に友人ができ、旅の半分を友人の再訪が占めるようになってきた。

今回のリオデジャネイロへの旅の最大の目的は、友人との再会。ベネズエラに暮らしているということもあり、同じ南米大陸なので、ご近所を訪問する感覚。

リオデジャネイロを訪れた時期が誕生日に近かったということもあり、そのお祝いも兼ねて自宅での食事会に招いてくれた友人。以前の同僚も姿を見せてくれ、互いの近況報告と、また近いうちの再会を願う。

10日間のリオデジャネイロ滞在は瞬く間に過ぎ去り、いつものように、街を去る際には感傷的な気分になり、やはりここはいつも戻ってくるべき場所なのだと認識させられる。短期間ではあったが、またリオデジャネイロで暮らしているかのような気分を味わえた旅だった。

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