サンティアゴ巡礼 Day 3 アザンブジャ ~ サンタレン(33km)

サンティアゴ巡礼

初めての巡礼宿での夜を明かし、サンティアゴ巡礼3日目を迎える。この日は、移動距離が 30km を超える長丁場。目指すサンタレンは、高原の丘にそびえ、肥沃な湿地帯では農業や畜産業が発展し、ポルトガル大航海時代の重要な経済都市。歴史ある街までは、想像以上に険しい道のりが待ち受けていた。

スタート時間をさらに繰り上げ

朝焼けに照らされたアザンブジャの街並み

初日の反省を活かし、巡礼宿のドミトリーでの宿泊ということで、耳栓とアイマスク着用。おかげで他の巡礼者の物音は全く気にならず。朝5時に宿を出発した巡礼者にも気づかず、しっかりと体を休めることができ、3日目の朝を迎える。

前日はかなり気温が上昇する中で巡礼路を歩くことになったので、この日はさらに1時間出発を早め午前7時に巡礼宿を出る。朝が苦手なので、長い距離を歩くよりも、早起きのほうが辛い。

足のマメの状態は思わしくないが、消毒をして絆創膏を貼り、靴下を履けば、少しは痛みが和らぎ歩けるまでに。同じ宿にいた半数以上の巡礼者はすでに出発していたが、あくまで自分のペースで。

この日のルートの起点となる矢印

前日に巡礼宿のボランティアに、道順を示す矢印が見当たらずに、幹線道路を歩いて危険な思いをしたと打ち明けると、アザンブジャからの巡礼の起点となるポイントを教えてくれ、そこからこの日はスタート。この時点では、まだ道順を示すアプリの存在を知らなかったので、この人伝えの情報だけが頼りに。

道しるべが見つかり、その示す方向に進むが、アザンブジャからサンタレンまでは北上あるのみという道のりだが、矢印が示す方向は太陽に向かっていく。つまり、東へ東へ。自他共に認める方向音痴だが、さすがにこれは目指すサンタレンとは違う方向に進んでいることに気付く。

おまけにジョギングコースのような道のりでは、地元の人が朝の散歩やサイクリングを楽しんでいる。本当にこの道がサンタレンまで続いていくのだろうかという不安に駆られる。

しばらくすると、再び矢印が現れて左折すると、草に覆われた脇道を進むことに。まだ太陽の高度が上がり切っていないので、それほど背の高くない草でも日陰を作ってくれ、体温の上昇を抑えるのに一役買ってくれる。

この日は、前日に宿の冷凍庫で凍らせたクールネックを着用。夏の巡礼にはマストアイテム。この旅の一番のお供となる。

前日までの幹線道路を中心に歩いてきた道順から緑溢れる巡礼路に入る。

一面のトマト畑を駆け抜ける

トマト畑を通る巡礼路

日陰の続いた脇道を抜けると、視界が一気に広がり見渡す限り一面、緑! 想像していた緑溢れる風景の中を歩く巡礼がスタートした感じ。それと同時に、巡礼路を進んで行く覚悟が決まった。前日までは、ほとんど幹線道路沿いを歩いていたので、何かトラブルに見舞われたり、歩行が不可能になったりしたら、いつでも配車アプリでタクシーを呼んで、リスボンの友人宅に戻れば済むと思っていた。

しかし、この一面の畑の景色を目の前にして、簡単にタクシーを呼べる環境にはないことを悟り、腹を括るしかない状況を認識。

トマトが実り始める

作物を一見しただけで、それがどんな野菜や果物になるのか識別できる知識は残念ながらなく、通りすがりの人に、この一面の作物の正体を尋ねると、トマトと言う。南欧料理には欠かせない野菜。収穫時にはこの一面の緑に、トマトの赤が宝石のように輝く景色が広がるのだろうか。

トマト畑を1時間半ほど進むと、前夜に宿で医薬品をくれたニュージーランド人を追い越し、しばらくして丁度よい日陰を見つけたので休憩。

歩いている時は、足のマメの痛みに慣れて感覚が麻痺していくのだが、休憩後に再び歩き始める瞬間が一番つらい。鈍っていた感覚が蘇り、痛みが再発する。体力を回復させ、水分補給に休憩は不可欠だが、足の痛みを思うと休憩を取りたくないという葛藤に悩まされる。

ポルトガル巡礼の問題点はトイレ不足?

Valadaの診療所

トマト畑を抜けると、バラダ(Valada)の町に到着。カフェで一服しよう。まだ午前10時過ぎというのに、すでに気温はかなり上がっている。ここまで3時間ほど歩いてきたので、体も汗ばんでいる。初日はこの時間帯に巡礼をスタートしたので、3日目にして、午前中にかなりの距離を歩けるようにリズムが整ってきたのはポジティブな兆候。

立ち寄ったカフェのコーヒーは0.8ユーロ(=約135円)ポルトガルの地方では、コーヒー1杯が1ユーロを切る値段になるのか。これなら、気軽に巡礼途中でカフェに立ち寄って休憩できる。値段が安いのは良心的だが、お釣りを投げつけるように渡してきた店主の態度には不快感。それでも別れ際には「Boa viagem (良い旅を) 」と言葉をかけてくれたので帳消しにしよう。 

カフェを後にして、しばらく町の中を進むと、次の町の Porto de Muge に入る。町にはタグス川に架かる橋があり、その高架下には公衆トイレ。巡礼路沿いに初めて発見。

ふと、他の巡礼者の人たちはトイレ問題をどうしているのだろうと疑問が沸く。カフェやガソリンスタンドで用を済ませるようにしてきたが、それが見つからない時は、茂みの中でということも。他のルートの巡礼経験者とこの点を議論した際、ポルトガルの巡礼路にはトイレが整備されていないのが問題と指摘していた。

初めての公衆トイレをありがたく利用させていただく。この場所で別のニュージーランド夫婦と出会う。この先、数日に渡りこの2人とは時折、遭遇して互いの巡礼についてアップデートすることになる。

給水ポイントなしの16kmに及ぶ長丁場

Porto de Muge を後にすると、注意しなければならない点は、この日の終着点となるサンタレン(Santarém)まで給水ポイントがないこと。つまり水を購入できる商店もなければ、カフェもなし。公共トレイや水道もない。つまり、3時間以上もの道のりを歩み切るだけの水分は事前に確保しなければならない。

正午前に、この長距離に及ぶ給水地点がない場所から歩み始める。気温はぐんぐん上昇し、おまけに照り付ける日差しを遮ってくれる木々もあまりなく、カンカン照りの中を一歩一歩進んで行くしかない。

視線の左上の丘にみえるサンタレンの街並み

持っている水の量は心配はなく、道のりも平坦ではあるが、いかんせんこの気温と単調な一本道が 16km という距離を余計に長く感じさせる。迷うはずもない道のりだが、あまりの長さゆえ、進んでいる道が正しいのか不安になり、農場で働く人にサンタレンまでの道のりを確認するほど。

農場で声をかけた人はインド人で、ポルトガル語は通じず、英語でのコミュニケーション。ただまっすぐ行けば、街までたどり着くという。ここまで2時間ごとに休憩を入れてきたが、この過酷な道では、木陰を見つけてはおよそ45分毎に休む。上述のように、休憩後に歩き始める際には、足の痛みがリセットされて、激痛に再び襲われるが、それをしても、休憩を挟まないと体力が持ちそうにない。

比較的大きな木陰が見つかったので、バナナとナッツで栄養補給。先程、公衆トイレで会ったニュージーランド夫婦が追い付いてきた。日本人の友人がいて日本も訪れたことのある2人は親日的。一人巡礼旅の最中、この長い 16km の道のりで何か起きたら助けてもらえそうな安心感が生まれる。

午後に入ると、日差しはさらに強まり容赦なく照り付ける。残り8km ほどの地点に差し掛かる頃、前方の丘の上に街並みが広がる。あれがサンタレンだろうか。

いつもは目標が見えた時には足取りが軽くなるものだが、この日はそうはいかず。むしろ、遥か遠くに見える街まで残された距離感に、心理的なマイナス効果が作用する。 

それでも歩みを進めている限り、街とその手前に架かる橋の姿は徐々に大きくなり、農場に別れを告げ、飛行場が姿を現すと、再びアスファルトの一本道。

待ち受ける心臓破りの坂道

サンタレンの街まで続く心臓破りの坂道

プライベートジェットが離着陸する飛行場のようで、滑走路もそれほど長くはない。携帯で残りの距離をチェックすると、あと3km しかし、所要時間は1時間との表示。

3km 程なら30分位でたどり着けるはずなのに、一体どういうことだろうか。疑問に思ていると目の前に現れたのが心臓破りの坂道。写真ではその勾配は伝わりにくいかもしれない。あるいは、ここまで25km 以上の道のりを歩いて、さらに重いバックパックを背負っている故、より一層、上り坂が急に見える。思わず「まじか」と声が漏れる。

しかし、登りきる以外、街へたどり着く手立てはない。後から出会ったスペイン人は、16km 近く給水もなく歩いた後、この最後の上り坂で力尽きて、脱水症状になり救急車で運ばれたという。それくらい過酷な道のり。

ここまでの農場の道のりも堪えたが、それでも平坦なかつ、舗装されていない道のりは太陽の照り返しもそれほどきつくはなかった。しかし、この坂道のアスファルトからは、午後の厳しい日差しが容赦なく照り付ける。

丘の上にはサンタレンの街

1992年のバルセロナオリンピックのマラソンコースの終盤、モンジュイックの丘を力走する選手にでもなったかのような気持ちで、最後の坂道と格闘する。携帯での情報が、ここからサンタレンまで1時間の所要時間がかかると表示されたのに納得。

坂を上り切り、サンタレンの街に入る頃には体力の限界。宿に着く前にスーパーに立ち寄り、普段は控える冷たい飲み物を購入して体を冷やす。予約した宿が街の中心から少し距離があることに落胆。

予約した時点では中心部から1km 位の距離は気にならなかったが、30 km 以上歩いてきて、終盤は心臓破りの上り坂の後、宿までさらに歩くのは酷。

ホステルの巡礼スタンプ

ようやくたどり着いた宿は巡礼宿ではないが、巡礼者フレンドリーのホステル。有人のレセプションで部屋まで案内してくれたが、まさかの階段で上がろうとするので、声を挙げてエレベーターでの移動を懇願。足が悲鳴を上げている。宿はドミトリー24.12ユーロ(=4,183円)

ドミトリーに入ると前日の宿で一緒だったフランス人のおじさんと再会。「いま到着したのか?こんな暑い中歩くなんて無謀すぎる」と言われてしまう。この方は、猛暑を避けるべく朝5時に出発し、昼過ぎにはサンタレンに到着していたという。

靴擦れが発生

荷物を置いてシャワーを浴びるため、靴を脱ぐとマメに加えて靴擦れが起きている。これが後日、大問題を引き起こすになるとは、この時は想像もせず。

観光する体力は残されず

サンタレンはポルトガルの大航海時代を経済的に支えた重要な都市であり、美食の街でもある。しかし、ここまでの道のり、さらには引きずって歩かなければならないほどの足の痛みに、街を観光する体力は残されておらず。

巡礼旅は、サンタレンに限らず、いくら魅力的な場所でも、長時間歩いてから観光の為に残されている体力は少なく、翌日の早朝出発を考慮すると、早寝もしなければならず、純粋な観光のための時間はなかなか割きづらい。

観光はさておき、食事。前日はランチでデキャンタのワインを楽しむくらい、グルメも楽しめた巡礼だったが、この日は魔の 16km のせいで昼食を食べるタイミングを逃してしまう。

昼と夜兼用の食事を求めて、傷む足を引きづりながら街へ。前日の巡礼宿で一緒だったアメリカ人にも遭遇。巡礼旅にギターを持ってくるくらい若さ溢れるニューヨーカー。しかし、20代の彼にしても、サンタレンまでの道のりは過酷なもので、特に最後の上り坂では死ぬかと思ったと苦笑い。そのせいで足が時折、痙攣するという。

これからの巡礼について尋ねたら、毎日こんな道のりを歩くのはご免だ。しばらく休もうと思うと言うではないか。巡礼開始から数日しか経っていないのに、エネルギー溢れる若者ですら、このメンタルの境地に追いやられるくらいの道のり。

この言葉を聞いて、それまではサンティアゴ・デ・コンポステーラまで歩き続けようと思っていたが、1週間ずつのスパンで考えて、5日間巡礼して、1日休むことに考えを改めた。

サンタレンは、この3日間のうちでは最も大きな町で、中心地にはショッピングモールもあったが、目ぼしいレストランやカフェはなく。グーグルでリサーチした雰囲気のよさそうなレストランは、この日に限って午後6時で閉店とツキにも見放される。

テイクアウトのチキングリル

代替え案として、テイクアウト専用のチキングリル。疲れすぎてサイズにまで気が回らなった。ハーフサイズとすべきところを1匹丸々。

さすがに1人では食べ切れず。宿に冷蔵庫もなく。同じ部屋のフランス人のおじさんと分けようとしたが、翌日も早朝出発なのか、すでに寝床についている。

巡礼者ではない別の旅行者がホステル内に宿泊していたので、おすそ分け。

サンタレンの街に沈む夕日

ホステルのテラスから夕陽を眺めて、長い長い一日が足の痛みと共にようやく終わりを迎える。翌日の巡礼に備えて、体が十分に回復することを願って、就寝。

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