ポパヤンに到着後、無事に知人の知人が繋がり、プラセ火山のトレッキングツアーに参加できるようになった。
ツアーの集合時間は厳守!?

集合時間は朝5時となっていたが、ツアー会社との直接の連絡では10分前に到着するように指示された。ラテンアメリカにおいて、約束時間の10分前到着を求められるとは…。
苦手な早起きも、これから未知なる場所に行けると思えば苦痛ではない。ツアーに朝食も含まれているとのことなので、出発前はリンゴ、ヨーグルトの軽めの食事で済ませ、温かいお茶などの準備。
集合場所までは滞在していたAirbnbから幸いなことに歩いて2,3分の距離。時間に余裕は持たせていたつもりだったが、4時40分に代理店からメッセージ。もう集合場所で待機しているそうだ。まじか。
約束の時間に遅れてはいないはずなのに、まさかコロンビアで時間にせかされることになるとは。荷物を手に集合場所まで、若干急ぎ足で向かう。さすがに日も登っていない早朝なので、人気が全くない。
結局事前に指示されていた4時50分に到着。確かにもうバスが待機しているが、肝心の人の集まりと言えば全く。メッセージで焦燥感に駆られてきたが、到着していたのは1人だけで、2番目だった。
昨日はメッセージのやり取りだけで、ツアーに参加させてくれたので、担当者にお礼を述べておいた。参加者は、単独やカップル、家族など様々だが、同じグループではないようで、いくらツアー会社が集合時間をせかせても、参加者のほとんどはコロンビア人。時間通りにみんなが集合するはずもなく、待ちぼうけ。
結局、最後の3人グループが到着したのは5時30分だった。遅れて到着しても平然としている姿はラテンならでは。これなら、もう少しベッドでゆっくりできたなと思う。
昨夜、代理店のホームページを確認したところ、トレッキングのレベルは上級、山頂の標高が4528メートルになるため、防寒対策必須となっていた。しかし、参加者の顔ぶれを見渡すと、10歳にも満たないであろう子供がいたり、そんな薄着でトレッキングするんですか?という格好の参加者がいたりと、いまいち確認した情報を疑ってしまう。
トレッキングスタート地点ですでに標高4000m
すでに少なくとも30分は予定より遅れているが、プラセ火山の入り口までバスを走らせる。2時間くらいかかるそうで、山道と舗装されていない道路を走っている間、心地よい揺れに眠気を誘われ、睡眠を補充。
プラセ火山は文字通りプラセという町にあり、Puraséというのは先住民の言葉で活火山を意味するそうだ。町に入ると、警察の検問のため目が覚める。まもなくして朝食の場所に到着。標高がぐんと上がったため、肌寒さを感じる。そんな体を温めるべく、チーズや卵、ココアなどの朝食を頂く。
朝食後、先住民のガイドからプラセ火山について説明を受け、登山口へ。辺りは硫黄の匂いが漂い、目の前の山が火山であることを認識させられる。
登山口の入り口となる地点には、標識らしきものが立てられ、示された標高はすでに4,080mではないか。この地点ですでに富士山より高い。空気の薄さと寒さ、若干の頭痛を感じる中、トレッキングスタート。
ルートは大きく3つのパート

入り口の標識で参加者が各々記念撮影をしてトレッキングスタート。目の前には石畳で整備された登山道が続いている。これなら、子供でも登れそうな印象を受ける。頂上まで残された距離も、直線では500m余りなので、上級となっていたトレッキングのレベルは想像していたより簡単なのかもしれない。
そんな思いを抱きながら、石畳を進んでいくと、突如その終わりを迎える。目の前にはもう明瞭な道はなく、そこら中に転がる火山石に黄色く色づけられたマークを頼りに先に進むことになる。

標高が4000メートルを超える一帯にも、植物の生命が宿る。時折、心臓がえぐり取られそうな感覚に襲われるが、ゆっくりと着実に1歩1歩先を目指す。石畳の登山道が終わり、高山植物が散見された地点に入った途端、辺りは雲に覆われ、時折雨にも見舞われ、寒さが一層体に堪える。
急いでカッパを準備するも、何を間違ったが、下のパンツのカッパと思って持参したものが、ダウンジャケットという失態。結局、防水ジャケットのみで対応。パンツは雨に打たれ、徐々に下半身から寒さが堪える。
この第2ステージとも言える地点で、子供などの参加者の姿はなく、すでに引き返していたようだ。天候の要素に加え、傾斜も厳しくなり、説明通り、上級レベルのようだ。

雨に打たれながらも歩みを進めると、下山してくる人たちとすれ違う。一体どれほどの距離がまだ残っているのか尋ねても、あと少しという回答は返ってこなかった。気が付けば、20名ほどの参加者も、周りには5,6人しかいなくなっていた。
そんななか、20歳くらいの大学生のコロンビア人は若さの勢いのまま集団をリードしていく。その格好は、上着は一応、ダウンジャケットのようなものだが、下はレギンスのみ。ヒートテックのような素材ではなく、かなり薄手にみえる。しかも、足首丸出し。見ているこちらが寒さに襲われそうだ。そんな心配をよそに、颯爽と登っていく彼女は、他のメンバーも励まし、時には休憩と称してスナックを分け与えてくれた。
高山植物の姿が見えなくなると、目の前には火山岩で形成された薄黒い、登山道とも呼べない道が続いていく。ここが最終の第3パートとなるが。頂上が曇って見えないため、その道が果てしなく、永遠に続いているかのうようだ。目標地点を定められないため、心理的な負担がのしかかる。
気温もさらに下がり、雨足も強まり、途中下山も脳裏に浮かぶことを数回。そんな葛藤をよそに、景色は火山岩の黒と雪の白のコントラストが広がる。南米大陸で雪がみれるとは。前述の女子大生は雪に大はしゃぎ。早速、友達と雪合戦。すごいエネルギー。
この最終パートは距離にすると、おそらく最も短いはずだが、勾配が急なため、足取りも重くなり、実際の距離よりもはるかに長く感じられた。ここまで来たら頂上までたどり着きたい一心と、先が見えないことによる若干の恐怖心が入り交じる。

そんな複雑な気持ちを一掃させてくれたのが、標高4528mと書かれた印が目に入った時だ。どうやら、もう頂上付近らしい。数字的な思い込みのせいか、傾斜も若干緩やかになり、目の前には、高原のような空間が広がる。火山灰の黒と雪のまだら模様が足元を覆っているが、空は完全に雲でふさがっているため、閉じ込められた空間に到達したみたいだった。
晴れて視界が良好ならが、眼下には美しいカルデラが見えるはずだが、もはや、下りの傾斜が3メートル先ほどまでしか見えない。きっとここにドーム型の空間があるのだろうと若干強くなった硫黄の匂いから想像を膨らませる。

若干遅れを取っていたツアーの参加者も無事に頂上にたどり着き、結局全体では7,8人だけが到達できた。この時点で、下半身はほぼびしょ濡れで、靴下までその湿気が漂う。上半身は防水ジャケットの効果で、体温を正常に保てていた。
下山も想像以上にハード
トレッキングにしろ、ウォーキングにしろ何だって、帰り道は来た道の記憶を紡ぎながら進むので、同じ距離なのに早く感じるものだが、このプラセ火山のトレッキングは例外だった。上りより、下りの方が滑るリスクが高く、ところどころ細心の注意が必要だった。
雲行きも時間とともに変化するため、時折、本当にこの登山道を進んできたものかと記憶の答え合わせをしなければならないくらい、異なる景色に見えた。登頂までは勢いのよかった女子大生も振り返ればその姿がない。
一旦、待機するが、待っているこちらの体温が下がり危険になる可能性もあるため、別の参加者と下山を続けることを決意し、先を進む。第3パートから第2パートに景色が変わり、高山植物が目に入ってきたが、登りの際、こんな過酷な標高でもたくましく育つ植物に抱いた感動ももはや忘れさり、石畳の登山道の出現を待ち望む。
あいにくの天気で視界不良のため、道のりが余計に長く感じられたが、石畳の道が目に入った時は、生きて帰れる確信がようやく持てた気がした。
例の女子大生も無事に下山したが、低体温症のような状態に陥っていたため、アルミシートに身を包まれ、極度なまでに身震いが生じていたが、幸い、大事には至らなかった。
ベストシーズンは12月から1月
無事に下山した後は、朝食が提供された場所で今後は昼食。スープが体の芯まで温さを届けてくれる。


ツアー会社によると、10月は天候不順な日もあるため、プラセ火山のベストシーズンは12月から1月だそうだ。壮大なカルデラは残念ながら目にすることはできなかったが、少なくとも人生で最も高い地点に到達したという記録が残ったトレッキングとなった。