おしゃべりおばあちゃんとのAirbnb-リオデジャネイロ(3)

Airbnb

滞在が1週間、2週間と経過していくと、同じ時間と空間を共有しているゆえの繋がりが深まっていくのが感じられた。その過程で、話し相手を務めることに疲労を感じることは正直あったが、おばあちゃんとの話題は尽きることがなく、楽しい日々だった。

おばあちゃんがイモトアヤコに

ビーチバレーを楽しんだ夜、マンション入り口の共有スペースのシャワーで軽く足に着いた砂を落とし、“家”まで戻る。シャワーをしたとは言え、まだまだ砂が体についているので、こういう時は、正面玄関ではなく、台所に直結している扉から入り、リビングを通らずにシャワーまで直結していた。

この日も同じく、台所側の扉の鍵を回す。若干鍵を開ける音がマンションの踊り場に響くが、まだまだオリンピック・パラリンピック期間中なので、おばあちゃんが就寝中ということはないので、そっと音を立てずに帰宅するように注意は払わなかった。

台所の扉を開けるや、いつもは電気が消えていることが多いのに、この日は明かりが点いていた。おばあちゃんの消し忘れかなと思っていると、台所の奥の洗濯機があるスペースからおばあちゃんが登場。若干薄暗い空間から人影が現れたので、びっくりさせられる。

ゆっくりと近づいてくるおばあちゃん。お化けではなく、この家の主。しかし、この夜は、毛染めをしていたみたいで、クリームがべっとりと髪の毛に塗られ、オールバック。おばあちゃんの鮮やかな赤色の髪の毛はこのようにメンテナンスされていた。

「おかえりなさい」と声をかけてくれたおばあちゃんと視線がぶつかる。あれっ。どうやら、髪の毛との色合いに調和を持たせるため、眉毛も染めているようで、イモトアヤコのような太眉毛姿に吹き出しそうになる。

おまけに染料で汚れてもいいように、毛染め用のワンピースをお召しになっているが、脇の当たりの開き具合が大きすぎて、目のやり場に困る。こちらのそんな心境はお構いなしに、「パンデミックで外出ができなくなって家で食べてばかりだったから、男のビール腹みたいになっちゃったわ」とお腹を叩きながら豪快な笑い声を上げる。

この日以来、台所側の扉から帰宅する際には、ユニークな格好のおばあちゃんが扉の向こうに潜んでいるかもしれないという覚悟を持って、鍵を開けるようになった。

お金の貸し借り

その日は朝から目覚めていたおばあちゃんはご機嫌がよろしくないのか、困り果てているような表情を浮かべていた。聞く間でもなく、おばあちゃんから事態の報告がてらおしゃべりが始まる。

どうやら、銀行とのトラブルでお金を下ろせないようで、手元に現金が一切なくて困っているとのことだ。近くに住むご子息さんと連絡を試みるも、「肝心なときにあの子はいつも応対しないのよ」とご不満。

今日中に現金で支払いを済ませないといけないものがいくつかあるらしく途方に暮れている。あ、そうですかとしらを切るわけにいかず、多少ならお金を貸しましょうかということで、50レアル=約1,000円を手渡した。

銀行の問題が解決したら返すというおばちゃんの言葉とは裏腹に、後日、お金が下せるようになったと報告を受けてからしばらくお金は返って来なかった。しかし、ある時から、野菜や果物を保管するために使わせてもらっていた籠の付近に現金が置かれていた。

ぱっとみた感じ、50レアルには満たなさそうだった。台所でおばあちゃんと話す機会があった際には、さりげなくその現金の存在に意識を向けたものの、借りていたお金の返済資金ではない模様。

お金の貸し借りが生じると家主と借主という関係だけではなく、あらゆる人間関係に少なからず、微妙な影が差し込む。今回は、金額が1,000円ほどなどで、贈呈したと割り切れるので、特に返済の催促はしなかった。

おばあちゃんの銀行問題が解決したとみられる日から1週間以上経っても返済がなかったので、きっと忘れてしまったのだろうと過ごしていたある日、仕事中にノックをして部屋に入っていたおばあちゃんの手には50レアル札が握られていた。

おしゃべりおばあちゃんの返済は、ただお金を渡して終わりでは済まない。銀行問題が一件落着したら、気が抜けて色んなことを忘れてしまっていたから、今回の件がいかに大変だったかまくしたてるように話し続ける。お金の返済まで完了したので、おばあちゃんとの信頼関係がさらに深まったような気がした1日となった。

おばあちゃんの若さの秘訣

おしゃべりなエネルギーからも若さ溢れるおばあちゃんだが、その秘訣は一体どこにあるのだろうか。ある夜、いつものおしゃべりの中で直球を投げかけてみた。

おばあちゃんの答えは至ってシンプルだった。年齢に囚われないということだ。何でも、おばあちゃんは70歳になるまで自分が何歳かを意識したこともなく、むしろ忘れていたそうだ。その年、肩が上がりづらくなって診察を受けた際、医者から70歳だから体の可動領域が年々狭まるのは仕方ないと言われ、ふと我に返り、自分が70歳だったことを認識したそうだ。

体は以前より思い通りに動かなくなってきてはいるけれども、孫も含めて、若い人達と過ごすことでエネルギーをもらっているそうだ。おばあちゃんとの毎日のおしゃべりで、ポルトガル語の上達に一役は買ってくれているが、その反面、エネルギーは吸い取られているかもしれない。

年齢に対する意識に加え、おばあちゃんと過ごしていると、とにかく好奇心が旺盛なことに気づかされる。見慣れない食材で料理をしていると、それはどこで売っているのか、どんな味なのかなど矢継ぎ早に質問が飛んでくる。

食の嗜好は年を重ねるにつれて保守的になりがちだが、おばあちゃんはおいしそうと判断するや、自分でも購入して新たなものを積極的に試すという好奇心には驚かされた。

正直、年齢とともに老いを感じることもしばしあるが、今回のリオデジャネイロでのおばあちゃんとの滞在で、いくつになっても様々な人と関われるエネルギーを持つことに素晴らしさを教わることができたのは、大きな収穫だった。(つづく)

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